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 屋上で、風のない日。残暑がなだらかに過ぎ去って行った午後。

伊藤はゆったりと雑誌を捲っていた。 記事は読んでいたが、目を通した側から忘れていた。

 大切なのは、今自分の肩に相棒の頭が預けられていて、雑誌がそれなりに面白いということだ。 その行為自体が目的で、それによって得られるものに意味なんてない。

 伊藤は欠伸を一つした。平穏な時間が流れていた。

「なあ」

「ん。何だ寝てたんじゃなかったのか?」

 不意に三橋が身体を起こした。釣られるように伊藤も身体の向きを変えた。直後、腕を掴んで 引き寄せられる。不意打ちにバランスを崩した伊藤は、顔を三橋の肩に押し付けた。

「ふぐッ、何だよいきなり…」

 耳に柔らかい何かが触れ、伊藤は息を呑んだ。
三橋の唇が、伊藤の耳朶に押し付けられるようにして動いた。

「好きだぜ」

 伊藤は三橋を見た。何か言おうと思ったが耳と脳味噌と口とを繋ぐ神経が上手く連絡しなかった。

 すっと立ち上がった三橋が立ち上がる。目で追うと、伊藤は両手を地面に付いて見上げる形となった。 まるで彼の飼い猫のようだ。

「冗談だよバカッパ。引っ掛かってんじゃねーよバーカバカッパ」

 弾けたように三橋が爆笑する。
いつの間にか取られていた雑誌で頭をばんばん叩かれた。むっとして伊藤も立ち上がる。

「三橋お前なぁ!」

「赤くなってやんのーハッハー」

「るせッ…!テメー気色悪い冗談やめろよな!あと雑誌返せ!」

 三橋は雑誌を持ったまま屋内へ走り込む。追う気力もなく、忘れた頃にでもこっそり取り返そうと 伊藤はその場で溜息を吐いた。

(何なの、あいつは)

 白けた気分に白けた雲がよく馴染む。
伊藤は空を見上げたまま、無意識に三橋の言葉をリピートした。

 脈拍がほんの少し乱れた。気がした。






***





 外から生徒達の歓声が聞こえてくる。窓辺に寄り掛かった三橋は、さして清潔でもない 保健室の黄ばんだカーテンをちらと捲った。昼食直後の五限に体育だなんて不幸なクラスだと、 上辺だけの同情を視線に乗せる。

 幸いにも無人だった保健室のベッドに、半猫化した伊藤は無事隠れることに成功した。

 無理矢理セットを崩した髪は、残った水分と溶けたワックスにぺたりとしている。不自然な耳を 隠すために行った工作だがあまり意味はなかった。耳の先がピコリと髪から飛び出している。

 今は上体だけ起こして、呆然と遠くを見て固まっていた。三橋の話を聞いて今度は 石化したのである。器用な男だと三橋は感心した。

「…なあ三橋、それってつまりよ」

「何だよ」

 一分ほど微動だにしなかった伊藤がようやく喋った。三橋は奇妙に硬い仏頂面を向ける。

「俺、死ぬ…ってことか?」

 猫耳がペコ、と下を向き尻尾が垂れた。

(な、情けねぇ…!)

 三橋は口をぐっと引き結び、必死に爆発する笑いを堪えていた。それ故の仏頂面だった。

いや実際笑いごとではないのである。理子から仕入れた怪談が本物なら、伊藤だって同じ目に遭う 可能性は高い。実際彼には既に耳と尻尾が生えている。

 だがその二つの事象の為に三橋は真剣になれない。

伊藤の感情の起伏に合わせてそれらが動く度、三橋の心は何とも言えないほんわかしたオーラに 包まれるのだ。「猫耳モエ〜」の気持ちが少しだけわかってしまった瞬間である。

 伊藤が上半身を前に倒し頭を抱える。尻尾がぱたぱたと枕元に畳まれた長ランを叩いた。

「何でだよー俺は轢いたんじゃなくて助け…てはいないけど、でもあれって悪いことじゃないよなぁ? それとも植え込みの影なんかに置いたのが良くなかったのか?埋めてやった方が良かったのか?」

「ま、触らぬ神に祟りなし、とかいうやつじゃねーの」

 諺を披露した三橋に伊藤は一瞬顔を上げたが、すぐにまたがっくと項垂れた。

 彼はどうやら今朝、登校時に轢かれた猫の死体を移動させたらしいのである。

そんなん放っとけよと三橋は思うのだが、そこが彼のいい所というか、馬鹿な所というか。 兎にも角にもそれが伊藤真司なのだ。三橋の心臓がきゅっと痛んだ。

 笑いは治まらなかったが。

「とりあえずよ、アレだホラ、その猫の供養?でもしてみりゃいんじゃね?
駄目な時はお払いでもしてもらえ。お前ン家金持ちだから、いくらでも有名なの呼べんだろ」

 励ますつもりで、ぽんと肩を掴み軽く揺する。のろのろと伊藤が三橋の方に顔を向けた。いつに なくしっとりと濡れた瞳が三橋を見つめる。伊藤の両手が、三橋の肩に掛かった。

(あ?)

「ナァォン」

 伊藤の口で猫が鳴く。すり、と甘えるように伊藤は三橋の頬に自分の頬を寄せた。 釣られるように操られるように、三橋がフリーズした意識で彼の背に手を回す。

ちょっと待て何だコリャどーなってんだ不味いまずいマズイ。

頭の中に警告音が響き渡るがどうしようもない。鼓動が駆け足する。このまま。今なら。

「………、う、うわっ!」

「うおっ」

 吃驚の声と押し退けられる感触に、三橋の世界が戻った。口も閉じぬまま伊藤を見る。 伊藤も同じ表情で見返した。

「………伊藤お前」

「ち、違う!俺じゃねーって!俺じゃなくて…」

 じゃあ誰だよ。と三橋は訊けなかった。脳内にはユーレイ、という単語がびっしりと敷き詰められ、 全身は鳥肌に覆われている。

 伊藤も己の言葉の意味するものに気付いたらしく、青ざめた顔でぱくぱくと口を動かしている。 彼は既に涙目だ。潤んではいるが先程の色気の欠片もない。むしろ何か間抜けだ。

(でもこれがイトーだ。オタクでカッパで意地っ張りの伊藤真司)

 後半を本人が聞いたら怒るに違いなかったが、それでもようやく三橋はこの奇怪な出来事に真剣に 向かい合った。三橋は再度窓辺へと体重を預け、未だパニックの最中にいる伊藤を見る。

「伊藤、今夜その事故現場行くぞ」

「み、三橋…」

 驚きと不安の入り混じった視線が向けられる。三橋が黙っていると、少し思案するような様子を 見せた伊藤が、言った。

「人に見られちゃマズイってのは確かにあっけどよ…幽霊相手に夜とかヤバくねーか? つか、お前こういうの苦手じゃなかったっけ?何か出た途端俺のこと置いてったり…いて!」

 意気込みを消し沈める発言をする伊藤に、三橋は無言で枕を叩き付けた。







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■あとがき■

温いギャグ…。
ていうかイトーちゃんが痛くてごめんなさい。平伏。
一気に更新して一気に終れるかなーと思ってたのですが、
飽きっぽい性格ゆえに中だるみ気味。
やっぱり猫化は絵でやった方が楽しいデスネ。