【SIDE-B】


 木村は黙々とハンドルを操作している。

沈黙は鷹村の得意とするものではなかったが、自分で黙っていろを指示をした以上 口を利くわけにはいかなかった。助手席からミラー越しに木村を盗み見る。顔色は良いとは言い難い。

(俺のせいか?)

 それはずっと引っ掛かっていた疑問だ。

 ロードワークに出て数分と経たずに、青木と木村はジムに戻ってきた。
その頃には雨脚も段々に強さを増してきていた。二人が面倒になって帰ってきたものだと早合点した鷹村は、 尤もらしい説教を垂れに、正確にはからかう為に腕組みをして彼らの元へ赴いた。

だが彼を迎えたのは青木の困った顔と木村の鈍い反応だった。

 訊けば、木村が卒倒したと言う。
幸いすぐに気が付いた為歩いて帰ってこれたのだが、減量中でもないのに倒れるだなんて徒事ではない。

――少し熱があって。風邪じゃあないし、平気と思ったんスけど。

 気まずそうに木村は笑った。
知らぬ者が見れば照れ笑いとも取れたろう。だが鷹村は少々事情が違った。

(一昨日だっけか)

 内心で指折り数える。
一昨日の晩。数ヶ月前。二度目の。

 車が止まった。鷹村は木村を見る。目が合った。

「今日、泊まってくんでしょう。鷹村さんに合うサイズの着替えなんかないから、悪いんスけど、 近くのコンビニで下着でも買って下さいね」

 申し訳なさそうに肩を竦め笑う。鷹村の返答は、木村の開いたドアから顔を出した、彼の母親の声で 遮られた。いつの間にか木村の家に着いていたらしい。

 彼ら母子は二言三言会話をして、やがて鷹村は木村と共に彼の自室へと追いやられた。 木村の後に鷹村が続く。

 彼の父母は店の方が忙しいのか、ついてくる気配はなかった。まあいくら息子とはいえ、いい年をした 男の多少の体調不良に、いちいち騒ぎ世話を焼く人間もそういないのかもしれない。

 運転中に気絶したら危険だからと、一番暇な鷹村が監視、もとい介添え役を買って出た。

 やることもなく退屈だし、木村の家の飯は美味いしと適当な理由を付けて驚愕する面々を納得させたのだが、 勿論そんなものは口実でしかない。鷹村には、木村に確認しなくてはならないことがあった。

 木村は存外てきぱきとした動作でパジャマを引っ張り出してくると、上着の釦を外しながら鷹村の方を 振り返った。ジムでシャワーを浴びたから、前髪が下りてきて鬱陶しい。黒い影がちらちらと視界を覆う。

「鷹村さん。冷蔵庫にポカリあると思うんで、取ってきてくれませんか?持ってくるの忘れちゃって」

 笑う。こいつの笑みはいつ見ても違和感があると鷹村は思う。

「オレ様がいると着替えにくいのか?」

 追い出したいのはわかっている。

「あはは、今更そんなん思いませんよ。もう散々見られてるじゃないスか」

 勿論、その根拠が羞恥心でないことも知っている。
だが、と鷹村は思う。だが、なら何故同行を承諾した。

(こいつの考えてることはさっぱりわからねぇ)

「嫌なら嫌って言えばいいじゃねぇか。抵抗もしねぇしよ」

 木村の目が揺れた。それが動揺なのか他の何かなのか、それすら鷹村にはわからない。

 酔った勢いで木村とセックスをした。それが数ヶ月も前のこと。

二度目が一昨日の晩だった。

これは酒のせいではない。たまたま太田荘で二人きりになり、単純に、鷹村が木村に欲情したのだ。理由は 考えていないからわからない。

 だがそれ以上にわからないのは、果たしてそれが強姦だったのか和姦だったのか、ということだ。 こんなおかしな話も他にない。

 木村の抵抗はほとんどなかった。
押し倒した時に嫌だと言って身動ぎはしたが、あれを抵抗と呼ぶのならば世の中のほとんどの性交は強姦に なってしまうと鷹村は思う。

あるいはそう考える自分の感覚がずれているのかもしれない。
もしかしたら、木村はずっと抵抗をしていて、それに鷹村が気付かなかっただけかもしれない。

 だから鷹村は木村が熱を出したのは自分のせいだと判断した。
それなりに丁寧にしてやったつもりだし昨日は普通に練習していたわけだから、肉体的にダメージがあった とは思わない。

たかが失恋で熱を出す男だ。鷹村にとって何でもないことが、彼の神経に負担をかける 可能性は否定できない。

 しかし、ジムで木村があっさりと鷹村の同行を許可したことに、その仮定にも疑問が生じてしまった。

挙句の果てに泊まっていくのだろうと彼は言う。その一方で鷹村を部屋から追い出そうとする。

 木村の気持ちを量りかねて、鷹村は苛立っていた。
木村は困ったように笑って、瞬きを一つした。意外に長い睫毛がゆっくりと上下する。

「嫌とかじゃなくて、喉が乾いてるだけだって。心配しなくても、鷹村さんの分もありますから」

 話題が掏り替わる。木村の得意とするところだ。

だが無理矢理引き戻す気にもなれず、鷹村は舌打ちして踵を返した。バタンと少し強く 閉めたドアの音が空気を揺らす。

 そこでふと鷹村は、ここまでついてきた自分をおかしく思った。
放っておけば良かったことだ。熱はいずれ下がる。記憶も薄れるだろう。あの行為は、劣情は一時的なもの だったかもしれない。そもそも何故自分は木村に欲情などしたのか。

 木村に関わっているとどんどん疑問が増えていく。考えるべきことが増殖していく。

(面倒臭ぇ)

 それでも止まれない自分がいる。それすらも。

 鷹村は、壁に寄り掛かり目を閉じた。
階下からは木村の母親の元気な声が途切れ途切れに聞こえてくる。部屋からは僅かに衣擦れの音。

気持ちは静まらない。

 一分と経っていなかったろう。鷹村は邪魔な前髪をかき上げた。ポカリを取りに行く。戻ったら、今度こそ 木村を問い質す。

 乾いた唇を舐めた。湧き上がった喉の渇きは、きっと錯覚でしかない。







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